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2009年2月28日 (土)

お玉で匙加減24、圧力鍋と林檎のコンポート

Photo 林檎を買って何個か食べて残りを冷蔵庫の野菜室に入れたままにしていた、、、幾ら鮮度長持ち機能でも半月以上出番を待っていたので

 気付くと萎びかかっている、、、

 早く何とかしなくてはいけないと思っているのだが

 皮を剥いて食べるのが面倒で明日に延ばしていた、

 エコな生活の推進しましょう、家庭の残飯を減らすのもエコで、

 萎びかかった林檎をジャムにするかと考える。

 圧力鍋を出して

 林檎をサクサクと六等分にし皮を剥き

 圧力鍋に入れる

 水と蜂蜜、それにレモン汁を入れる

 圧力を満開にし五分、、、、

 林檎ジャムと考えていたら出来上がりは林檎のコンポート、、、、

 ま、これもよし、、、

 

         

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お玉で匙加減23、脅迫的観念か怠け心か

0910 何とか頑張ってこの一週間毎朝2.5㎞歩いている(人生で余計な事をしたのかこの一週間雨だった、、)し、土曜日の今日も公園を一時間強歩いてきたが、、、家を出るまで大変だった、、、

 布団の中で悶々と歩く歩かないと考え歩かない言い訳を考えていたが目覚まし代わりの携帯電話が鳴る、、、寝る前に休みの日は早朝七時から歩くことにしていたのだが実際その時間になると色々な感情が葛藤を始める、、、

 毎日歩いているのだから休みの日は歩かない

 毎日歩いているのだから休みの日も歩け

 毎日仕事に出ているから休みの日は出歩きたくない

 家で歩く運動器具を買おうかそうすれば好きなときに歩く

 三日坊主、絶対無駄な買い物だし家が狭くなる

 渋々、起きる、、、

 健康の為それが自分の為という判断より 脅迫的観念に支配される、、

 歩き始めたのだ続けろと誰かが叫ぶ!

 昨日まで雨だったのに何で今朝は晴天何だと呟く、

 日除けの帽子がないので歩けないと怠け心が叫ぶ!

 怠け心が叫ぶと脅迫観念が言い返す、、

 「生活指導のお姉さんに何て言い訳するの!」

 更に脅迫観念が言い足す、、「健康の為に歩いている自慢をしたかったら結果を出してごらんない、人にちょっとは認められたいのでしょう、、」

 結局、私は何ヶ月後かの結果を期待して家を出た訳だ。

 

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2009年2月25日 (水)

お玉で匙加減22、靴を買う

0909 ここ数日通勤に履いている靴の中に小石が入る、、、経験から靴を履き潰したようだ。。。。靴の形態上靴修理店に行き修理をして貰うのが難しい、、

 ヒールの底のゴムの摩耗なら簡単に直して貰えるがゴムシートを貼り付けたような靴では張り替えは無理だ、、、一時しのぎに瞬間接着剤で剥がれた靴底に塗ったが効き目はない、、、

 今週から通勤経路を変えた、、、健康診断で生活が以前の指導を受け取り敢えずバス停二駅分を歩くと言ってしまったので二十分程歩くことにした。

 「靴を買うのなら、」 パンプスよりウォーキングシューズが良いか、、

 土曜日も歩いた、日曜日も頑張って歩いた、、この勢いで

 今週から取り敢えず一ヶ月宣誓通り歩くことにした、、

 歩くなら歩きやすい靴が欲しい、

 月末の出費はきついが必要経費?と考える。

 否、靴を買ったんだから疲れたと言い訳を吐き歩くのをさぼってはいけない、

 その運動靴店に入って、、「へぇーーーっ」と驚く、、

 運動靴の百花繚乱? 運動靴とは思えないような靴もある、、メーカーがスポーツシューズを扱っている☆☆なので棚の靴は運動靴なのだろうとおばさんの思考回路は納得する、、「この次、もう一足買うときはあれにしよう。」 と内心決め取り敢えずは歩きやすそうなウォーキングシューズを買う。

 新しい靴を買うと何だか歩くのが愉しくなってきた、、、

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2009年2月22日 (日)

お玉で匙加減21、続青信号

0908 昨日は下見がてらに2~3㎞歩いた、、、その足で買い物に行く、、

「明日から歩くとなるとトレーニングウェアと靴がいる、、」 と考えたが洋服売り場でウェアの値札を眺めて諦める、、、「今月は出費を抑えなくてはいけない。」 家計簿の08年度締めが3月なので無駄な出費を諦める。

 「山歩きの上着とズボンに靴もあるやん。」 と自分に言い聞かし食品売り場に向かう、、でもあの揃いのウェアが欲しい、バーゲンまで待つか、、でも待っていると売れてしまう、、

 本日は夕方から雨らしいが朝は晴天、、意を決して?家を出る、、、

 歩け、歩け、昨日は途中で気分が悪くなったが今日は大丈夫、

 公園に入ると歩いている人を見掛ける、、、

 同じ目的の人が居ると思うと心強い、、怠け者の私、同じ目的の人が居ないとやらない、、) 

 その人の後に付き歩く、、今日から本格的に歩く昨日考えたコース

 少年野球のグラウンドを周回、噴水のある池を周回、さらに満開の梅林の小道を歩き今は葉を落とした銀杏並木を歩く、、、

 一周歩いて約12分、、二周目は少し長くしよう銀杏並木を往復してグラウンドを周回する一周18分、、、此処に来る前に病院周辺の公園を十分歩いていたので既に四十分歩いている、、、頑張って後一周、、一時間歩いて息が上がる、、、、

 柔軟体操をしてやっと休憩、、、

 後は、、、デジカメを片手に満開の梅を撮る、、、

 メジロが梅の花の蜜を吸いに何羽も飛び交っている、、

 今日は何とか歩いたが明日からは仕事、、さてどうするか、、、

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2009年2月21日 (土)

お玉で匙加減20、青信号

0906 する、しない、する、しない、やれ、やれば、やるとき、、、、何て自身にあれこれ言い訳をしていた、、、なかなか最初の一歩が前に出ない、、

生活指導のお姉さんから、毎日何かの運動を続けるように言われた、、

 その時は仕方なく、「通勤でバス停二駅分を毎日歩きます。」 と言ったのだが実際それはなかなか難しい、、、特に仕事帰りにそれを行うのは無理だ。

 ①残業がある

 ②仕事帰りに買い物がある

 ③最近会社周辺の人通りの少ないところで恐喝事件が多発している、暗がりを歩くのは危険だ、、、何かあったら通勤災害とは成らないはず、、、

 そんなこんなでこの一週間指導項目をさぼっている、、、

 生活指導のお姉さんの言葉がプレッシャーとなり脅迫的観念に襲われる、、、

 では、と考えを変える。

 「要するに歩く決心が出来ていないんや。」 

 運動の為に歩くには最初の一歩の決心が必要だろう。

 何か楽しみを見付ければ、、

 散歩の延長なら、、

 否、買い物ついでの歩き、、、

 頭の中でコースを考える、、病院の周りの公園を歩き、、グラウンドのあるもう一つの公園に足をのばし其処から駅に向かえばとにかく2㎞から3㎞は歩いた勘定になる、、、先ずは此処から始めよう、、、

 病院周辺の公園を必死にいつもよりは速度を上げ歩いたら、、、

 案の定、横断歩道の所で吐き気をもよおした、、、

 吐きそうだっっっっっっっと誰かが脳裏で騒いでいる、、

 此処でその誰かに言われるままに家に戻るかどうするか悩んでいたら信号が青になり方向者マークが点く、、、

 せっかく決心をしたのだその一歩を踏み出す、、

 取り敢えず踏み出したが、、、

 明日は信号は何色だろうか、、、

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2009年2月19日 (木)

お玉で匙加減19、マンモグラフィー検査

0905 あーーーーーーーーやっと健康診断が終わった、、、

後は結果待ちだが毎年、健康診断が終わるまで気が重い、、気が重い分多分、、きっと体重中がいつものことだが0.5kg程増えると思う。

 結果が悪いのは年の所為だ、半世紀以上生きてきたのだ、部品の悪い所が出てきて当たり前、、、何ともないと言う人が居るんだろうか、、、じっと動かないマネキンだってショーウィンドウに五十年も立っていれば色褪せ、石膏の崩落もある、、、

 ぶつぶつ文句を書き連ねているのは、採血で貧血を起こし眼底検査のフラッシュで目が眩み、心電図を取るのに冷たい吸盤を付けられ心臓が縮み上がり胃レントゲン撮影では回転ベットの上で散散転がされ更にマンモグラフィー検査では烏賊焼きの如く乳房をプレスさせられ最後に生活指導のお姉さんから今後六ヶ月の生活指導を言い渡されたからだ、、、

 「☆▲@*ですからrestaurantshoeの指導をします、 ○週、◇週、▽週毎にこのシートにpigを書き込んで来てください、、、」  

 うん、うんと肯いて生活指導のお姉さんの許を去る、、、

 厚生労働省の指導通達の影響が今回の健康診断に反映したのか、、今までなら確定申告の面接の様に色々言い訳し何とか擦り抜けてきたが今回の健康診断は生活習慣病の軽減が目的で厳しい指導となった、、、

 健康診断は終わったがマンモグラフィー検査の後遺症か未だに胸が痛い、、、

 検査の重要性を知っているので我慢するしかないのか、、

 生活習慣病は殆どが言い訳の結果病だがせめて乳癌検診だけは言い訳やり過ごさないよう今後も受けようと思う、、しかしだ、、もう少し優しい検査はないのだろうか?

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2009年2月15日 (日)

お玉で匙加減18、髪を切る

0904 人に髪の毛を触られるのが嫌いなのでここ十数年は自分で切っている、それ以前は自身の恐怖と戦いながら三、四ヶ月に一回の割合で美容院に行っていた、、、、

美容院に行くのは恐怖でしかない、、、、、

 学生時代は親に切って貰い三つ編みのお下げ髪で通したが卒業すると髪をにひっつめ、、、要するに後でひっつめ髪留めで止めていた、、、そんな髪型を生きてきた人生ほど続けたが髪は伸びるので仕方なく美容院に行く、、、

 他人から見ればお笑いだが美容院に行く時は一大決心が必要で、、前日から髪を切らなければいけない理由をあれこれ自分に言い聞かせ納得する、、、そして当日は、、

 当日は一大決心をして家を出た、、、

 だがどうしても、、決心が着かないときは、、、

 鎮静剤を飲んでリラックスしてから出掛けた、、

 が、、、、その量が次第に増えだした、、

 何時しか6錠ほど飲むように成って、自身何とかしなくてはと考える、、

 出家して剃髪をしないのなら髪は何とかしなくてはいけない、

 悶々とした日々が続く、、、何でと自問するが答えはない、、

 ある日、TVのアニメ「ペリーヌ物語」をぼんやり眺めていて女の子が鏡を前に髪を切っているシーンが出て解決策が出た!

 何で、今までこれに気付かなかったんだろうかと思った。

 美容院に行くのが嫌なら自分で髪を切れば良いのだ、綺麗に剃髪が出来なければ困ると考えていたが髪は伸びるのだから伸びた分を切れば問題ないと答えが出た、あれ以降伸びたと思う部分を切った、、、ははは、、(^。^)、、本当に笑える人生だ。

 

 

 

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2009年2月14日 (土)

お玉で匙加減17、バレンタインデー

0903 昨日仕事の終わり際にバレンタインチョコを貰った、、、当世風に言えば世話に成りましたチョコである、、

数年前に職場での義務チョコの配布自粛を女子間取り止めを決めた、、二月になると女子間に一種の強迫観念に襲われた様な戸惑いが走り年長者であった私が取り止めを宣言したのだ。。。。年々エスカレートし出した感があった、、、部として上司や部員に、各々の職場の上司と課員に更にグループ間でと何種類ものチョコレートを買って来なくてはいけない、、、、

 同様に上司の方にも入らぬ気遣いをさせてしまった、、、メディアが、「ホワイトデーには何を返すのかと、、」 騒いでいたので生真面目なA上司はバレンタインチョコが知らない間に机の上にあると恐る恐る私に確認に来られた、、、あからさまに義務チョコだとか儀礼チョコだと言えないので、、「日頃の無礼のお詫びチョコです。」 と答えてしまった、、、しかし女子全員の名簿を渡しホワイトデーの返礼チョコとなったのだ、、、

 明らかに家に帰りホワイトデーの三倍返しの品、春物をスカーフをねだるを目的に夫にチョコを渡すのはよいがお互いの無用な気遣いを何処かで断ち切る必要がある。

 好きな人や家族と一緒に食べたいと言う一歩進んだ考えが広まったのかどうか或いは自分へのご褒美チョコに買う人が増えている、、、かく言う私もその一人なのだが日頃はデパートのスウィーツ通りに並ぶ宝石の様なチョコをやっと買える、、、、

 ああ言うチョコは普段は買わない、ちょっとした親戚の集まりの手土産に買って行く位なのだしあの甘い匂いは時に強すぎると気分が悪くなる、、、、

 実を言うと、、家と会社近くにお菓子の工場がある、、風向きで毎日甘い匂いに浸っているとチョコもケーキもそうそう食べたいと言う感情が湧き起こらない訳で、、、

 

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2009年2月12日 (木)

お玉で匙加減16、もやしとイケメン

0902 あるTV番組で城咲仁が、「もやしの髭と芽をとってもやし料理を出してくれたら、、、」 と言っていた。

あの一言以前はもやしを買っても髭と芽を取らずにそのまま料理をしていた、当然だが自身が食べてあまり美味しい食感ではなかった、、

 だからもやしは安くても買って料理をする事がなかった、、

 「もやしの髭と芽を取っただけで食感が変わるとは思えないけれど。」 私はそんな事を考えながらその日の買い物で野菜売り場のもやしコーナーに立って考えた。

 手間、手間、手ーーーーーーっっっっっ間!! と考えたが

 試してみるのも良いかと彼の顔を思い浮かべその日は久しぶりにもやしのパックを買い物籠に放り込む、、「今夜はもやしの胡麻油和え、もやしの味噌汁、、」

 プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、、

 大袋のもやしの髭と芽を摘み取る、、、

 プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、プチ、、

 一時間近く掛かってのもやしの髭と芽を摘み取り終える、、、

 真綿色の白いもやしの茎と薄茶色の残骸に奇妙な達成感?

 「今日のもやしの和え物美味しい!」 と弟が言う。

 へえぇぇぇ、、、、本当だ、口の中にもやしの残骸感が無く

 シャキシャキとした噛み心地に酔う、、

 しかしだ、、、弁当のおかずにもやしを入れる時は

 いつもより三十分早く起きてもやしの髭と芽を摘み取らなくてはいけない。

 イケメンの甘い一言は何らかなの代償を払う?

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2009年2月 8日 (日)

昭和の時代95、消えた世界10、井戸端会議

 家の離れの炊事場にも古井戸があったが父と母が結婚に其処に住んだときには井戸は使われず蓋がされていた、しかし長屋の奥の小さな広場には井戸があり昭和三十年代半ばまで使われていた。。。

 幼稚園から帰って家に母は居なかった、、、

 昼前だったと思う私は玄関から出て母が居るだろう路地の奥に向かった、路地に入った途端奥から賑やかな話し声が聞こえてきた。

 家には水道が引かれ居たので炊事や風呂、洗濯が出来たが路地の奥の共同井戸で時々母は近所の小母さん達と洗濯をしていた、、、

 私がその共同井戸のある小さな広場に行くと母は近所の小母さん達と話し込んでいた、、、「○○ちゃんが帰ってきたよ。」 近所の小母さんの声に母は振り返りすぐに昼ご飯にするからと言った。。。

 その共同井戸は夏には水遊び場にもなった、、、路地に置かれた縁台と同じように何時も賑やかな集まりが其処にあった記憶がある、子供もはしゃいだが大人も集まった。

 ふつり、私の記憶からその井戸の存在が消える、、、

 昔を振り返って彼処に共同井戸があり遊んだ記憶が蘇る、、

 人がその井戸に集まらなくなった原因は私には解らない、、、ただ言えるのは遠慮無くあちこちを駆け回る子供が居なくなり長屋や町内が静かになっていった、、、

 「△△(弟)のおむつを洗うのに彼処によく行ったな。」 と後年母は呟いた。

 母に何で井戸を使わなくなったんと聞きたいが私は止めた、、、そしてもう一度記憶の片隅の井戸場を思い描いた、、、

 洗濯を終えた母と近所の小母さん達はギィギィとポンプの弦を漕ぎ水をくみ上げるとさっきまで洗濯していた洗い場に水を撒き泡を流し自分達の濡れた足を拭き下駄を履くと小上がりの路地から物干しのある広場に向かった。。。。。

 止まった古い時間が其処にある、

 大きな土管に突き出たポンプに蓋の上の桶

 煉瓦と御影石で出来た洗い場の床、、排水溝の傍の水苔、

 家に囲まれた共同井戸、、、

 二階の窓辺に居る猫、、手作りの小さな紙の鯉のぼり

 あれは昭和三十四年四月の○○日だ、、、

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2009年2月 7日 (土)

昭和の時代94、消えた世界9、台所情景5、箱膳

 法事や祝い事で料亭や仕出し屋から食事を頼むと各々の料理が蓋付きの箱で運ばれてくる、上げ蓋を取り下の盆の底に畳まれた足を出せばそのまま膳になる。。。。

 「昔は箱膳やったんよ。」 と母が言った。

 母が小さかった頃、各々の食器(ご飯茶碗、汁椀、総菜碗、箸)は各々の箱に入っていたと言う、、、食事の時間になると台所の片隅の棚からその箱を取り出し並べる。

 「碗を出して蓋を返し箱に乗せて其処に碗を置き膳としたんや。」

 食事が済んだら、、、私はそれらを洗って箱に仕舞い入れ棚に戻すののかと考えていたら母はあっさりと、 「食べ終わったら湯で碗の残りを掻き集め飲み干した、そして箱に戻し蓋をして台所の棚に返した。」 と言った。

 「お茶碗は洗わへんかったん?」 と私が尋ねると母は肯いた。

 「たまに洗っていたけれど、、、普段は洗わずに棚に戻していた。」

 「汚ないんと思わへんかったん?」 私の疑問に母は答える。

 「自分の茶碗やし食べ残しを碗に付けているのは罰当たりや。」

 茶碗を洗わず次に其れを使うとなると其処にそれなりの作法が生まれる、

 食べ物を、器を、、食事を大事に扱う、、、今の私達が失った世界がある、、

 

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2009年2月 5日 (木)

昭和の時代93、消えた世界8、台所事情4、まな板の足

 何代か前に使っていたまな板には足があった、

 足のあるまな板、、、鼻緒のない歯が二本生えた下駄の様なまな板を使っていた、、時々にぎり鮨を乗せている皿代わりのまな板を見掛けるがまな板しての歯の生えたあのまな板は日用雑貨コーナーでは最近はなかなか見掛けない、、、

 随分と使ったのかそのまな板の中央は凹んでいた、だからたくあんを切るとみな薄皮一枚残して連なって切り上がる、、、

 鉋を掛け平にと何度も考えたが使い続けた、、、

 愛着がある、、 私が赤ん坊の頃に近所から貰った物だとか、

 二十数年使い歯がぐらつきだしたので処分をした、、、

 まな板に足があったのは少し前までは台所に調理台が無く直接、浅い洗い場に置いて調理台として使っていたからだ。。。

 小さい時分、土間の上がり口に弟一緒に座って母が夕食を作るのを眺めていた

 トントンと小気味よい音が響く、

 あの当時、夕方台所に用もなく出てくると母に叱られたが、まな板が出す音に惹かれて私と弟は台所に出てその音を聞き入った、、小さかった私は何とか母の真似をしたかったが未だその当時は包丁を触らせてもらえなかった。

 後年、母に代わって料理をする頃になって母は新しいまな板を買ってくれた、新しいまな板は白木の一枚板だった、

 母は古い足の付いたまな板、

 私は新しい白木の一枚板、、

 暫くの間、二枚のまな板が流しに置かれていた、、

 調理台にその一枚板のまな板を置き根菜類を切るのだが昔、聞いたあの小気味よい音は出せない、、多分考えるにあの足があるか無いかで音の出が違うのだろう、、

 出来ればと思う、あの足の付いたまな板が欲しい、、、

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2009年2月 1日 (日)

昭和の時代92、消えた世界7、台所事情3、おひつ

今時、旅行に行き旅館に泊まらない限りおひつからご飯をよそう事はないだろう、おひつを日常的に使用しているならそれはこだわりの生活になるか、、、

 お釜で炊いた炊きたてのご飯を檜のおひつに移し換え食卓に持って行く、、

 おひつの効用はと統制の人は考えるがあの当時はそんな事は考えなかった、台所と食卓のある居間は完全にあの当時は別れていたので炭で黒くなったお釜を抱えて食卓に添えると言う発想が無かっただけのように思う。。。お釜は台所に鎮座し、お釜からおひつに移し換える神聖な行事である米に対しての畏敬の念が在った訳で?、、、

 おひつのご飯と言えば私は桂米朝の「京都のぶぶづけ」の話を思い出す、

 京都人のお愛想を真に受けた男が昼時居座ってしまった、磯野家なら寿司でも出前を取るところだがその男は「ぶぶづけ」を食べたいと言う、、応対するおかみは困惑するが仕方なくおひつに残ったご飯を刮ぎ茶碗に盛り男に出すと言う話だ。

 我が家でもおひつを使っていた頃、よく櫃のふちに着いたご飯を刮いでいた、塗りの櫃と違い白木の櫃にはよくご飯粒が残る寄せ集めると一握り程のご飯が集まる、、

 量が在るときはおにぎりにして食べるのだがその量もないとき、、母も間借り生活をしていた主の奥さんもそれを小さな麻袋に入れ洗濯糊にしていた、、、

 多分、あの当時何処の家にも洗濯糊用のご飯粒を入れた袋の壺が台所の片隅にあったはずだ、、、洗濯の最後にその麻袋を揉み白濁した飯汁で衣類の糊付けをしていた。

 洗濯糊(澱粉糊)が雑貨屋に出回る頃、昭和三十中頃になるとご飯粒を入れた麻袋の壺は台所の片隅から消えたいった、、、

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